今昔マップ |
「今昔マップ on the web」は、全国11地域の主に明治期以降の新旧地形図を切り替えながら表示してくれ
るWebサービスです。
歴史的な地形の変化を視覚的に理解するのに非常に役立ちます。特に、都市開発や自然環境の変遷を
研究する際や、地域の歴史に興味がある方にとっては価値のあるものとなります。
今と昔のマップを左右に並べて見比べることが出来るので視覚的に楽しく、ついついのめりこんでしまいます。
生まれ育った地域のかつてのマップを眺めるのは楽しいですよ。
昔からのからの地形がどうであったのかを知ることによって災害に対する認識を確認することにもつながります。
この地図の機能は、地域の変化を時間を追って確認したい場合や、特定の場所の歴史的背景を調べたい
ときに特に役に立ちますです。また、教育や研究の目的で地図を使用する方々にも推奨されています。
ただし、サイトの使い勝手や情報の正確性については、個人のニーズや期待によって異なるため、実際に
アクセスして試してみることをお勧めします。
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「今昔マップ on the web」
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東京駅周辺の今昔を比較してみました
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左図の赤枠の1896~1909年と現在の地図を比較しています。
当時はまだ東京駅は存在していません。 |
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これは現在の国土地理院の東京駅周辺の地図です
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明治42年の地図にはまだ東京駅はありません。下段中央には銀座の地名が。
外堀には八重洲橋、鍛冶橋が架かっています。
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大正6年の地図には東京駅が載りました。東京駅は大正3年12月20日開業です。
下部中央には区の文字が見えます。京橋区ですね。
町名も南や北のつく紺屋町(こうやちょう)の文字が見えます。
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昭和5年の地図を見ると丸の内側の建物が増えたのが分かります。
そして1930(昭和5)年、帝都復興計画の一環により、紺屋町等の旧町名が無くなっています。
南紺屋町は銀座西一丁目、銀座一丁目に編入となり消滅。
北紺屋町は槇町三丁目、京橋三丁目に編入となり消滅しました。
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昭和40年(1965年)の地図では赤いラインが示す首都高速が通りました。
東京オリンピックは前年でした。
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昭和59年の地図には東京都庁と地下鉄有楽町線が載っています。
都庁は新宿ではなく丸の内にあったのです。会社が八重洲2丁目にあったので都庁が近くありがたかったです。
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平成5年の地図から都庁が消えました。
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平成13年の地図には都庁跡地にガラス張りの東京フォーラムが建ちました。
都庁の人たちも有楽町のガード下から消えました。
東京駅前の学校にご注目ください。中央区立城東小学校です。東京駅の真ん前です。
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令和4年9月(2022年)から区立城東小学校は東京ミッドタウン八重洲の1~4Fに入居しました。
東京駅周辺エリアの再開発は十数件、総延べ300万平米が現在進行中です。
その開発区域内の小学校ゆえの超高層ビルへの引っ越しとなったわけです。全国でも例がないようです。
明治から現在までを今昔マップでたどりました。いかがでしたか面白かったでしょう。
ぜひ調べたい場所を選んで時空の旅を楽しんでください。
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